弘法筆を選ばず・・・
名人は何を持っても名人ということの例えですが、
誰もが疑問を持つ言葉なのではないでしょうか?
仮に同じ条件下で物事を競った場合は、問題ない言葉かと思います。
しかし片やこれまた名人が作った筆。片やどこのものか分からない使い古し。
これで同じ字が書けるはずもありません。
とくだらない事を書いていますが、要するに私が今言い訳をしているわけです。
決して私は名人ではありませんが、とは言えこの道ではプロ。
大きな失敗はあってはならないこと。それも素人張りのミスは・・・
今日も結構お客さんが入り、営業時間の途中で鱧が足りなくなりました。
水槽から若い子が引き上げ、おろす準備をしているところに、急な用事が入り、包丁も魚も放りっぱなしで、場所を離れてしまいました。
ちょうどそこへ私が。
目の前には包丁と鱧。
私はそのとき丁度暇で、お客さんとお話でもしようかなといった状態の時。
(鱧でもさばいとくか)
何気なく彼の置いていった包丁を手に鱧をさばいていきます。
「スル、スル」
と普段どおりおろし、何の問題も無く開けたかと思った瞬間、
魚に目をやると
「あれ、これなんじゃ!」
驚きましたが後の祭り。皮一枚残して開かないといけないはずが、大方皮まで切れてしまっているではないですか!
「ありゃりゃ!!!、これは困った」
とぼやいた所で、戻りません。
そこへ彼がやってきて
「ああ、ありがとうございます」
と鱧を私がさばいている事に対してお礼を言います。
「いやあ、実は穴を開けてしまってね、大変なんだよ。これ、君がやった事にして、大将に謝っておいてよ」
と言うと、冷たい彼は
「決して見なかったことにしますので、失礼します」
と言って裏に引っ込んでしまいました。
冗談だったのに、逃げ足の速い事!
仕方なく父に
「穴開いたけど、使える?」
と聞くと
「何とかします」
と言ってくれます。
何の問題も無くおろしたつもりなのに、切り過ぎた感触も無いのに、違うことと言えば包丁が違うことくらい。
「やっぱり、他人の包丁はだめだな」
とまあ、何気なく包丁を持った事を反省しました。
やっぱり他人のものだから、違うかもしれないということを少しでも頭に入れて、魚に向かうべきでした・・・
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