昨晩、一泊二日の京都より帰ってきました。
2日で懐石を3食食べました。
「贅沢やな!」
と言われますが、これもまた勉強であって、決して贅沢をしているわけではありません。
最初の日の昼は祇園乙部(東)にある「山玄茶」というお店に行きました。
柊家別館の料理長をしている後輩がそこに行きたいと言うので、2人して出かけました。
非常に入り組んだその店は、祇園らしく小さくまとまり、今は主流となった掘りごたつ式のカウンターです。
調理場の中には狭い中にたくさんの板前がいることを感じさせる、活気が。
そしてお店のほうもにぎわっています。
店主さんは滋賀の有名所「招福楼」に20年いたという立派な肩書きを持つ方らしく、料理としてはその流れを汲む、こじんまりとした、きれいな料理であろうかと想像していました。
ところが出てくる料理は小ぎれいに盛られていますが、意外と崩しの入った今っぽい懐石だったのには少々驚きました。
しかし、すべてが崩してあるというわけではなく、私も理想とする「オーソドックスな中の、一部での崩し」を目指している様で、おいしくいただくことが出来ました。
2人とも「なかなか、よかったよね」という意見で一致しました。
そしてその日の夜が今回の目的「高台寺 和久傳」です。
市内にも4件ほどの店を持ち、その本店と位置づけられている高台寺店。久しぶりの料亭です。
昔からある店ではありませんが、ことのほか有名です。
こちらのお店は私の師が最初に修行したお店で、さらにはその恩師のお兄さんが総料理長という、ちょっとしたご縁がございます。
さらには本当ならば、私はこちらのお店にお世話になる予定だったのですが、先を越されて行き場を失ってしまった、いわく付きの経緯がございます。
いつかは行ってみたいと思っていたのですが、なにぶん1人では行けず、機会も無く、今に至っておりました。
焼き蟹料理が有名なお店なので、行くのならぜひ蟹をと思っていました。
その禁漁が間近に迫っていたので、今日という日が選ばれた理由でもありました。
幸運にも食事に付き合ってくれる方が見つかり、お付き合いいただきました。
最初に若い板前さんが
「本日水揚げされた間人(たいざ)蟹です。この蟹を焼かせていただきます」
と言って持ってきた物は、確かに見たこともないような大きな松葉ガニ。
驚きです。それを目の前に持ち出した火鉢で、板前さんが1人付き、さらには女中さんも付きっ切りで給仕してくれます。
どうぞと言って出された焼き立ての蟹は、身も盛り上がり、見るからにおいしそうです。
そして驚いたのは何もつけないで食べます。酢橘などの柑橘もなければ、酢も出汁もなし。
塩も施されていないと思われる蟹は本来のおいしさで満ち溢れていました。
(確かにおいしい)
中に少しだけ、料理が出たり、蟹以外の焼き物が出ますが、ほぼ蟹尽くし。
しかし、今回一番おいしかったのはこれです。
蟹味噌の生のものと、数年寝かしたものを煮きった酒で伸ばして、温めたもの。
この味噌のおいしさは格別でした。
その後に熱燗を注いだ甲羅酒も最高。このおいしさは感動物でした。
もう1つ写真を。少しぼけていますが、こうして焼いてくれます。
感動してお店を出ました。
続いてあくる日のお昼には、以前はもう少し北の府庁あたりにあったかと記憶している「まとの」というお店に行きました。
今は祇園甲部、建仁寺近くにお店があります。
こちらではミニ懐石をいただきましたが、このお店の料理の盛り付けと器の感覚が特徴的でした。
すべて小さめの器にいっぱいに盛り込むといった感じの手法です。
とにかく器すべてが小さいのです。
その代わり工夫して盛っていますから、上品に盛り付けています。
味もおいしく、今回の食事は全部あたりといってよいかと思います。
料理とはあらを探せばきりが無いものですが、いいものを見ようと思うと、そうたくさんはある物ではありません。
そこのお店で少しでも自分のためになるものをと思い、毎回食事が出来るようになっただけでも、少し成長できたかなと思っています。
否定から大きな飛躍は期待できませんでした。
この盛り付けも私の感覚にはない構図でしたが、きれいに盛り込まれていると感心いたしました。
最近のコメント